2010年2月17日水曜日

広告でないものを作るぞ

これが最大の悩み、オーダーがあって、オーダーに応えるために作る、
これは得意先があるにしても、ないにしても、作るにあたって私が気にする最大のことだから。



わかっているはずなのに逃げていたこと、
いつも作るときにはターゲットを想定して、何かメリットになる部分を盛り込んで、結果がでるようにもっていく。
これって作家性の否定ですよね、

自分の作りたいものを作っていない、いや、作りたい物なんてないから、
自分の中からわき上がってくるものがないのが大問題だ。

考えはドライブ中にまとまってくる。数時間一人で考えられることなんてなかなかないから。

私がやりたいことは何だろう、
それは視覚として目で見ているものと、写真に固定されるもののギャップを埋めたいという事、
さらに素直に言うのであれば固定観念を壊して行きたいということ。

半年で答えは出しますよ。時間をかけて生み出すつもりはありません。

2010年2月15日月曜日

プリウス問題に物申す、



不思議だな、女性の好むクルマのトップがエコカーになっているらしい、
それだけ印象が良いということなのか、それとも、偽善者が増えたということか、

Co2の削減に意味があるかどうかまで疑問が出ているが、人間が傍若無人に生活を送ることは間違っているのだろう。
だとすると、化石燃料を個々に消費するクルマ文化というものは転換期に来ている事だけはたしか。

都合の良い交通手段とするともっと効率の良いものがあるのだから、構造から変革していく必要があるでしょうね、

と言う、根本はおいておいて、
トヨタのクルマづくりという点から今回のリコール問題を捉えると、言いたいことは山ほど出てくる。

まずは、感覚がズレるクルマを容認する発言が役員の口から出てしまう自動車会社という点、
これ、根本としておかしいでしょ、
クルマメーカーとしてひどいでしょう、

だって、クルマの進歩って人の感覚にいかにシンクロするモノを作るかであって、
操縦性能が感覚とズレるけど、それは仕方ないよね、なんて言い草はないと思うわけです。

ハンドリング、エンジンレスポンス、鋭ければいいわけでなく、安定性を維持しながら、いかに人に対して快適であるかを設計して来るのがクルマの本質、パーソナルな部分でしょう。
徹底した安定性で、鈍いと感じるメルセデス、スポーティーで、ぎひきびしたBMW、最近のSクラスと7シリーズを比較すると逆転している部分もありますが、自動車メーカーとしての回答だと思っています。

だとすると、トヨタ流の回答は、なんなんでしよう。
人の感覚とズレる、それも、ブレーキの効き方が、
最終的にリコールになったからいいというものではなく、そもそものところでズレても仕方ないとしてクルマ作りをしているのでは困るということです。

トヨタが総力をあげて作り上げた、プレミアムブランドであるレクサス、その試乗もしたことがあります。
LS600と、IS250、どちらも素晴らしいできでした。静かで、安定していて、文句を言うところはありません。
で、欲しいかと言われると、乗り味が、

操縦性が軽すぎて、ドライブゲームみたい、
きっと、人の感覚とズレるクルマだったのでしょう。これには時間がかかる、いや、今のままでは行き着くこともできないでしょう。エコカーだから、ミニバンだから、それは筋が違うのです。ハンドルとアクセルで走る道具である限りドライビングのプレジャーは必要です。

2010年2月6日土曜日

プリウスのブレーキ問題はどう考えるべきか



トヨタ プリウスのブレーキが効かない場合があると大問題になっている。
フロアマットから端を発したトヨタのリコール問題、ついには屋台骨のプリウスにまで波及してしまった。

当初プリウスのブレーキトラブルは、副社長の会見どうり、回生ブレーキの聴き具合と、人間の感覚のズレが原因だと私は思っていた。この時点では、まったく新しいハイブリッドとという構造、その充放電サイクルに応じた回生ブレーキという仕組みが起こしたものであり、新しい仕組みのクルマなんだから、その仕組みにユーザーが慣れるしかないだろうなどと思っていた。
ただ、クルマを作る会社の副社長が、ドライバーの感覚とズレがあると名言するクルマを買う気は起こらないとは思っていた。

しかしながら報道をきちんと読んでいくと、原因がABSにあるというではないか、ハテ、回生ブレーキの効き具合ではなかったのか、何かABSのプログラムに問題があったのか、それにしてもABSなどすでに枯れた技術であり、最近ではバイクにまで搭載されている。

事実は、
ブレーキを踏む、回生ブレーキが作動する。もし、滑りやすい路面では駆動輪であるフロントだけに効く回生ブレーキでは対処できないため、回生ブレーキはキャンセルされ、通常の油圧によるブレーキに切り替わるのだという。

いや、私の認識は大きく間違っていた。回生ブレーキの仕組みは、エンジンブレーキの延長線、絶えず、油圧のブレーキが作用しているところに、サポート的に回生ブレーキが働くと思っていたのだ。ところが説明によると、ブレーキを踏み始めた時点では、回生ブレーキのみが作用し、その後、油圧のブレーキに切り替わるというではないか、そして、トラブルの原因は、回生ブレーキから油圧ブレーキに切り替わるのに1秒弱の時間がかかることにあるらしい。
あくまでも、報道発表の記事をみながら書いているため、報道発表の間違い、あるいはバイアスがかかっていた場合正確な判断となっていない可能性もあるが、これは非常識きわまりない構造であり、この仕組のクルマを行動で走らせている責任は重い。
1秒弱ものあいだ、ブレーキの切り替えに伴ない制動が発生していないクルマが存在するということなのだ。

運転において1秒というのは長い時間だ、ブレーキとは止まるというだけでなく、スピードの調節でもあり、安定を保つ道具でもある。それが1秒弱無反応になるというのではあればまともなクルマではない。

リッター30km以上走ろうが、Co2をどれだけ削減できようが、とても容認できる範囲にはない。

クルマを白物家電化してきたトヨタの本質なんだろう。ブレーキは止まるためのもので、重量と摩擦、そして停止までの距離だけでとらえ、クルマをコントロールするためのデバイスという認識が無いということなのだ。

そろそろモノづくりとして限界がみえていることを自覚し、提案するクルマを作るべきだ。マーケットを調べ、今要求されているものを組み込むだけの作り方を反省する時にきているのだと私は思う。

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