2009年11月30日月曜日

DTPは真面目に進歩が必要



価格競争ばかりやっていて、進歩しないのが広告制作、DTPの世界。
未だに古い仕組みで行うのが当たり前で、今では手に入らないタイプのMacintoshを入手することに血眼になっている。

すでに広告という仕組みが崩壊していて、崩壊した土俵で相撲を取ることが無理だと考える見方もある。チラシという仕組みを例にとれば、新聞を配達するために折り込み広告という仕組みがある。スーパーの売り出し、特設販売の案内、喫茶店のオープン、様々な案内がエリアを限定して効果的に通知できる。この仕組みの成立は、一家にひとつ新聞が取られていて、同時にチラシを届けることができる前提だ。

2008年、ついに新聞は1軒あたりの購読数が1を切った。ようするに新聞を取らない家庭が数字上で現れた計算になる。これは数字上での話、実態はもっと深刻で、ある年齢層では新聞を購読しないのが当たり前になっている。20代の新婚家庭で調べれは、この数字は間違いなく明確になるだろう。これが全国的におきてきているのだ。

ニュースが必要であればインターネットで効率的に得ることができる。わざわざ新聞を購読する必然性はない。さらに、地上波がデジタル化されると番組欄を見るにも新聞に頼る必要はなくなってしまう。当たり前にEPGで番組は調べ、そして必要があれば録画予約をすることになる。
そして、予約録画された番組は、視聴時、広告を早送りして見ることになるのだ。新聞は必要ない。チラシは全戸に届かない。テレビCMは、録画により早送りされ、見られることはない。最も大きな媒体、新聞とテレビが成立しなくなっているのだ。

広告は成立しなくなった。ようは需要が急速になくなった。そして、制作者はあぶれた。あぶれる以上に新規参入、専門学校を卒業してカメラマンになった、デザイナーになったという人まで増え出したのだ。

これはすでに飽和状態のところに、さらに塩を放り込んだ状態、もう溶け込むことはできず、あとは濁り、こずむばかり。

制作単価は下がるところまで下がり、ついには、時間がないほどに働いているのに、食べるにも事欠くところまできている。

0 件のコメント:

コメントを投稿

日常の日常

MySpace Blog